清めの水

清めの水

 

日本人は、水に対する信仰心が古来から強く、島国である日本が特に自然の恵みをもたらす水資源が豊富であったこと、そして水稲文化の普及によるものと考えられています。

日本では水は「けがれを祓う力」を持つとされ、神聖な存在として扱われてきました。「清め」の儀式として海や川に入って身を清める「みそぎ」を行なってきました。「みそぎ」は、宗教行為のみならず民間行事や儀礼などにも取り入れられ、様々な習わしとして変化していきました。時代とともに水への信仰心というものは薄れて形式化したものの、祭などの行事において水の持つ古来からの「清め」の役割を今でも見ることができます。

現代でも残っている「水による清め」として代表的な儀式は神社仏閣を参拝する際の「手水(ちょうず)」です。神聖な場所に入る前に手を洗い口をすすぐことで「けがれ」を祓います。これは単なる衛生行為ではなく、身を清めることを意味しています。

 

打ち水

茶道ではその茶事の催しに先立ってお客を迎える30分ほど前に門の内外から玄関そして露地(茶庭)に打水をします。門から茶室に至る露地は言わば俗界と道場の境界であって世俗の塵を清める場所でもあります。門から露地にかけて打水をすることは聖なる場所への道を清めることでもあり、茶会に参加する人々が清廉なる心持でのぞみながらお互いに接するという意味でも大変重要な作法と言えるでしょう。

参照:打ち水大作戦「打ち水の文化的背景について

 

手水舎

手水舎(てみずや)とは、参拝前や神事に参列する際に、手と口を清めるための場所です。

参道の入り口付近に設置されることが多く、参拝をする前に心身ともに清らかな状態となるように清めます。

 

手水

その由来は、神話「黄泉の国」に見ることができます。
『古事記』には、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が死者の国である黄泉の国から帰って来られた際に水に浸かって、禊祓(穢れを祓い、身を清めること)を行ったことが記されています。「水に浸かり、穢れを落とす」、この禊祓などを簡略化しものが、手水といわれています。

 

参照:神社本庁

 

水垢離(みずごり)

水垢離(みずごり)/垢離(こり)は、神仏を参拝したり、神事や祭りに参加するにあたり、水を浴びることで心身の穢れを落とし、清めることを指す。本居宣長によれば、川に浸かって身を清める「川降り(かわおり)」が変化した言葉だという。神道では「禊(みそぎ)」と呼ぶ。イザナギノミコトの禊は垢離の起源と言える。

 

見付天神 矢奈比賣神社

続日本後紀には、「承和七年六月戊辰(840)奉授、遠江国磐田郡無位矢奈比賣天神従五位下」と記述されており、「日本三代実録」には、「貞観二年正月戊寅(860)詔授、遠江国従五位上」とあり、それぞれ神階を授けられています。

主祭神である「矢奈比賣命(やなひめのみこと)」は、女性の神様です。古来より祀られてきた神様で、1300年以上の歴史があり「見付のお天神様」として親しまれ、学業成就・健康守護・安産子育て・縁結びの神として崇敬を集めてきました。

見付天神 矢奈比賣神社の例祭「見付天神裸祭」では、浜垢離が行われ海水を浴びて心身を清めます。
 

滝行

滝行は奈良時代に広まった修験道の修行法のひとつであり、古事記や日本書紀にも禊の記述が見られます。水には穢れを祓う力があるとされ、滝行は禊(みそぎ)や垢離(こり)の一形態として位置づけられます。激しく流れ落ちる滝の水を全身に浴びることで心身を清め、精神を鍛える日本の伝統的な修行法です。

古くは修験道や密教の修行の一環として行われ、神仏への畏敬の念を持って滝に打たれることで、雑念を払い、内面と向き合う時間を得ることが目的とされてきました。

 

水分神社

水分神社(みくまりじんじゃ)とは、流水を分配する神、天之水分神(あめのみくまりのか

み)を祀る神社のことです。主に農耕に関わる水の配分を司る神として信仰されており、豊作を祈願するために水源地などに祀られています。水分神社は、この水分神を祀る神社です。特に農耕に関わる水の配分を司る神として、豊作を祈願して祀られています。

宇太水分神社

速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)【中央】、天水分神(あめのみくまりのかみ)【右】、

国水分神(くにのみくまりのかみ)【左】の水分三座が祀られています。

社伝では、崇神天皇の時代にはじまるといわれ、縁起では、崇神天皇の時代に神託によって社殿をかまえたと伝えている。本殿は、連棟社殿で中央と左右の三殿からなる一間社隅木入春日造り水分連結造りの古型で、外部は朱塗り。蟇股など細部に鎌倉時代の特徴をみることができます。

1954年に本殿の三棟が国宝の指定を受ける。

 

沖波大漁祭り

穴水町沖波地区で開催される沖波大漁祭りは、夜間に最高潮を迎えることが多い能登のキリコ祭りには珍しく、日中が見どころの祭りです。沖波諏訪神社のご神体が海からの漂着神であるという言い伝えから、キリコを海中に担ぎ込んで禊を行い、大漁と海の安全を祈願したのが祭りの由来となっています。

遠浅で知られる「立戸の浜」にキリコが勢ぞろいすると、地元に伝わる「沖波大漁太鼓」がリズミカルに打ち鳴らされ、笛の合図とともに1基ずつ海へ。担ぎ手は胸まで海に浸かって、豪快に暴れ回ります。キリコの上で打たれる太鼓がますます激しくなる頃、キリコは水を含んでずっしりと重くなり、肩に食い込んできますが、担ぎ手は意気高揚、ものともせずにさらに激しく海中を乱舞。水しぶきがあがり、夏の陽射しにきらめきます。やがて笛が鳴らされると、禊を終えたキリコは砂浜に戻ります。

参照:石川県観光戦略課 日本遺産「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」活性化協議会

「穴水町 沖波大漁祭り」