年表

Linha do Tempo
 

1590年

東京

大久保藤五郎が徳川家康の命により上水を見立てたとの伝承
 

江戸時代の水道管

上水の水を市中に運ぶため、江⼾市中には⽯組みの水道管(⽯樋)、木製の水道管(木樋)、及び枡などが設置されていた。

管として最も多く使用されたのは木樋で、その製作及び取付けには、船体への水の浸入を防ぐ船大工の技術が利用されたと言われている。
 

1630年以降神田上水

神田上水は、井の頭池、善福寺池及び妙正寺池を水源とする上水で、1630年代以降に完成したと言われている。

玉川上水と共に明治時代まで続いたが、近代水道が整備されたことを受けて撤去された。
 

江戸

自然流水からの上水づくり

 

1653年

東京

羽村取水堰が完成

 

羽村取水堰

羽村取水堰は、玉川上水と同時に建設され、1653年に完成したと推定されている。

現在は川をせき止める堰、魚などが行き来する魚道やせき止めた水を取り入れる第一水門から構成され、固定堰に加え、「投渡堰」というとても珍しい形式の堰が設けられている。

 

1654年

東京

玉川兄弟により玉川上水が開設される

 

玉川上水

江⼾市中への給水を⽬的として整備された、⽻村から四⾕大⽊⼾までの約43㎞の水路を有する水道。

庄右衛⾨、清右衛⾨兄弟が工事請負人となって整備が始まり、1654年に竣工した。

この工事を完成させた功績により、庄右衛⾨と清右衛⾨兄弟は「玉川」の姓を名乗ることを許された。

 

1859年

横浜

横浜開港

100戸ほどの一寒村であった横浜の人口が急激に増加、衛生的な水の確保が課題となる


 

横浜開港

 

横浜は開港直前は戸数101の小さな村であったが1859年に開港し、交易の場としてだけでなく、外交の拠点として重要な役割を担うこととなった。

開港と共にに外国人商人や新開地で一獲千金を夢見る者が集まり始め、急激な人口増加に悩まされるようになったが、井戸を掘っても良質な水が得られず、多くの人はの湧水などを汲んで売り歩く水屋に頼っていたといわれている。

 

 

明治

上水と西洋の出会い

 

1868年

東京

明治維新により江戸を東京と改称、上水も東京府の管轄となる

 

1883年

京都

大津・京都間の測量完了

琵琶湖疏水起工伺を国に提出


 

従滋賀県近江国琵琶湖至京都通水路目論見実測図

測量 島田道生

京都は平安京以来千年の間、日本の首都として栄えてきたが、1869年に東京へ都が移り、産業も急激に衰退、人口も急減していった。

この衰退していく京都を復興させるため、特に産業の振興を図ろうと計画されたのが疏水事業であった。

規模の雄大さは当時としては画期的なものであったが、その反面、これに伴う種々の困難や障害も非常に大きかった。


 

1885年

横浜

英国人技師ヘンリー・スペンサー・パーマー氏を顧問に迎え日本初の近代水道建設に着手


 

パーマー(前列中央)と日本人技師たち

英国人技師ヘンリー・スペンサー・パーマー氏は、土木から天文に至る広範な分野の知識と経験を持ち、1878年には香港・広東の水道設計を行った実績があった。創設時の資材はイギリスから輸入し、当時の世界最先端の技術と機材が随所に用いられた。

今日まで続く横浜の水道の歴史は、イギリスと深い関わりを持っている。


 

京都

琵琶湖疏水の建設工事開始

 

1886年


東京

コレラ大流行

江戸時代から変わらぬ水道の現状に対する批判となり、近代水道促進の大きなきっかけとなった。

 

1887年

横浜

我国初の近代水道が創設され、野毛山貯水場から市街地への給水が開始。


 

三井用水取入所

1887に完成したわが国で初の近代水道である横浜水道創設時の取入口。道志川と相模川の合流する地点に2個の突堤で小湾口を設け、1日5720㎥の水を鉄管2条で抽水井に導き、そこからポンプで沈でん池に揚水、ずい道と導水管による自然流下で、約44km離れた横浜市内の野毛山浄水場まで送水していたもので、1897年に廃止された。

また、この取水施設は、1885年5月に日本の近代水道発祥の史跡として近代水道100選に選定された。


 

創設当時の野毛山浄水場

導水路により三井村の取入所から野毛山の浄水場を結び都筑郡上川井村の亀甲山に接合井を設けた。川井接合井より標高の低い地点に設けられた浄水施設は野毛山貯水場と呼ばれた。配水区域は市街地を主とし、水源から市内数カ所に出張所を設け、資材運搬のための軽便軌道も布設された。


 

1888年

東京

上水改良の設計調査開始

 

1889年

横浜

市制施行により横浜市が誕生

 

京都

市制施行により京都市が誕生

 

1890年

東京

日本で初めて水道に関する法律として水道条例が制定

 

京都

第1疏水が完成


 

琵琶湖疏水完成

 

第1疏水縦断面図

当時、我が国の重大な工事はすべて外国人技師の設計監督に委ねていた時代にあって、設計から施工まですべての工程を日本人の手によって行った日本最初の大土木事業であり、歴史的変遷に伴い利水の用途に変更があったものの、今日においても約147万市民の上水道の水源や水力発電のほか、多目的利用がなされてる。


 

第1疏水

第1疏水から送られる水は、水車動力や舟運、かんがい、防火、庭園用水など、多くの目的に利用されたが、最も人々の暮らしを変えたのは、当時の最先端技術であった水力発電であった。

当初、琵琶湖疏水は水車の動力に用いる計画であったが、工事途中に水力発電の実用化に踏み切り、

1891年に蹴上で日本最初の一般供給用水力発電所が稼働すると、町に電気が送られ、電灯を灯し、機械を動かす動力に利用された。


 

1898年

東京

淀橋浄水場が開設、通水開始

 

淀橋浄水場

淀橋浄水場は、東京の近代水道における初の浄水場として淀橋(現在の新宿区⻄新宿)に建設された。1898年12月には大部分が竣工したことから、神田・日本橋方面への給水を開始、翌1899年にはろ過池が完成して、ろ過処理された浄水を鉄製の水道管を通して給水するようになった。


 

近代水道の父中島鋭治

文部省留学生として衛生工学を欧米諸国で研究中だった中島鋭治は、内命を受けて帰国し、近代水道の設計の精査を行った。彼は現地測量の結果等を踏まえて、浄水場の建設位置を千駄ヶ谷から淀橋町へ移すこと等を提案し、最終的にはこれが受け入れられ、設計書が変更された。これにより近代水道最初の浄水場が淀橋に建設されることが決定した。


 

1901年

東京

水源林経営に着手

 

荒廃した水源地

明治時代に入り、乱伐や開墾等により、多摩川上流の山林では荒廃が進んでいた。これを憂慮した東京府は1901年、山梨県下の丹波山村、⼩菅村の約8,140㏊ 及び府下の日原川上流約320㏊ の御料林を譲り受け、水道水源林の管理を開始した。後に水道水源林の管理は東京市によって進められた。


 

1902年

京都

京都市が第2疏水計画を京都府に提出

 

1908年

京都

第2疏水着工

 

1909年

京都

京都市初の浄水場(蹴上浄水場)の建設に着手



 

大正

都市化の波と近代水道

 

1912年

京都

第2疏水が完成

日本最初の急速ろ過方式を採用した蹴上浄水場が完成、給水を開始


 

第2疏水

1887年代後半にもなると、第1疏水の流量では毎年増大する電力の需要が満たせなくなったほか、コレラや腸チフスなどの伝染病が蔓延、地下水に頼っていた市民の飲料水が質・量ともに問題となってきた。そのため、第2疏水建設の構想を打ち立て、1908年に着工、1912年に完成した。この第2疏水は、大津市観音寺の始点から第1疏水の北側にほぼ平行して建設された全線掘り抜きトンネル、または鉄筋コンクリート管の埋め立てトンネルである。その流量は毎秒15.3㎥で、主に上水道の原水として利用されている。


 

蹴上浄水所

京都の水道は1912年4月蹴上浄水場より給水を開始したが、その浄水方式には急速ろ過が採用された。この方式は、今でこそ一般的なものであるが、当時我が国で初めてこの急速ろ過方式を採用したのが蹴上浄水場である。給水開始当時、施設能力は約68,100㎥/日であったが、今日は198,000㎥/日となっている。


 

1923年

東京

関東大震災発生

水道施設が大被害を受ける

 

横浜

関東大震災により野毛山浄水場等が壊滅的な打撃を受ける

 

関東大震災で損壊した野毛山浄水場

2回の拡張工事を経て、増加する水需要に対応していった横浜水道だが、1923年9月1日に関東地方を襲った関東大震災により、施設に壊滅的な打撃を受けた。震災直後から運搬給水、応急復旧を行い、その後復興工事に着手し震災後の復興に向けて取り組み、また、復興に伴う給水量の増加に対処するため、漏水調査の実施や水道使用量の全戸計量制への移行を進めるなど、節水対策も進めた。

 

昭和

災害復旧と近代水道

 

1957年

東京

小河内ダム完成

 

1964年

東京

多摩川系大渇水、最大50%の給水制限(東京サバク)

高度経済成長による人口や産業の集中に伴い、最大の危機に直面した
 

1965年

東京

淀橋浄水場廃止

 

平成

進化する現代の水道

 

1992年

東京

金町浄水場で最初の「高度浄水施設」が完成(一期)

以降、利根川水系の各浄水所で順次、高度浄水施設を整備
 

1996年

京都

琵琶湖疏水関連施設を国の史跡に指定

 

2001年

東京

水道水源林管理開始100周年

 

100年後の水道水資源

1901年の管理開始以来、広大な森林の管理を継続し、2001年に水道水源林は管理開始100周年を迎えた。豊かな水源の森を着実に保全育成し、東京の水道水の「ふるさと」としてこれからも守り続けていく。

 

横浜

宮ケ瀬ダムの本格稼働開始

将来にわたり安定給水ができる水源と施設が整う

 

宮ケ瀬ダム全景

8回にわたる拡張工事、及び2001年の宮ケ瀬ダムの本格稼働により、将来にわたり安定給水ができる水源と施設が整った。そして、拡張時代に整備した施設などの「維持管理」中心の時代を経て、現在は老朽化した施設の更新や大規模地震に備えた耐震化、水需要の減少に伴う水道施設規模の適正化を行うなど「更新・再構築」の重要性が高まってる。

 

2003年

東京

玉川上水、国の史跡に指定

 

2013年

東京

利根川水系で高度浄水100%を達成

 

高度浄水処理の導入

高度浄水処理とは、通常の浄水処理に加え、オゾンと生物活性炭による処理を行うもので、カビ臭の元となる物質等を分解、除去することで、より安全でおいしい水が届けられるようになった。東京都水道局では利根川水系の全浄水場で高度浄水処理の導入を進め、2013年度に利根川水系高度浄水処理100%を達成した。

 

2014年

横浜

横浜市内に現存する浄水場の中で最も歴史のある川井浄水場を自然エネルギーを活用した国内で最大規模の膜ろ過方式の浄水場に再整備

 

2018年

京都

琵琶湖疎水 通船事業復活

 

琵琶湖疏水船における船運の復活

陸上交通の発達と戦争の影響により、1951年に途絶えた舟運は、2018年に、約70年ぶりに観光船として復活。この「びわ湖疏水船」は、大津から蹴上までの第1疏水をたおやかに進み、琵琶湖疏水の魅力を間近に感じられる。
 

令和

持続可能な水道の実現に向けて

 

2019年

東京

12月1日を「東京水道の日」に制定


2020

京都

琵琶湖疏水が日本遺産に認定